作物の種子や苗、肥料、農薬、農業用品全般を取り扱う種苗店は、農業や園芸には不可欠な存在です。資材の販売だけでなく、その土地の気候や土壌にあった品種の選定、栽培方法、病害虫対策などの専門的なアドバイスも行います。
株式会社大島種苗店は1947年、小玉スイカの大産地である筑西市に創業。濃い紅色が鮮やかで、糖度が高く優れた食味、抜群の日持ち性と、三拍子揃ったオリジナル品種の小玉スイカ「紅トップ」は、筑西市を中心にロングセラーとなっています。
1977年、鉾田市に旭店を出店。後に「オトメメロン」の開発を手がけました。数あるメロン品種のなかで最も早い時期に収穫できる品種として、発売から25年経った今も変わらぬ人気で、確かな存在感を示しています。
今回はメロン栽培に深く関わってきた旭店に焦点を絞り、産地形成において種苗店の果たしてきた役割の一端をお伝えしていきます。お話を伺ったのは、創業78年、株式会社大島種苗店 代表取締役会長の大島邦茂さんと、旭店専務取締役の大島智志さんです。
独自の販売方法でビニールハウスの普及に貢献
今から50年ほど前のこと。鉾田市でスイカを作る農家が資材調達のために、筑西市の大島種苗店を訪れるようになりました。小玉スイカの一大産地である筑西市では施設園芸が進んでおり、同社ではビニールハウスを多く扱っていました。しかし当時の鉾田市はまだ露地栽培が主流で、必要な資材が近隣では入手できなかったのです。
口コミで50人、60人と鉾田から買いにくる顧客の数が増えていき、やがて筑西から鉾田まで、毎日のように注文の品を届けるようになりました。「旭村にも出店してほしい」というお客様の要望に応え、1977年に旭店をオープン。
父親が設立した大島種苗店を3人の息子たちで経営していましたが、旭店の代表には次男の大島邦茂氏が就任することになりました。当時26歳。奥様と生後3ヶ月の長女を連れて、鉾田の畑の真ん中に移住してきたのです。
当時の鉾田市はプリンスメロンの生産が好調で、ビニールハウスがだいぶ普及してきたところでした。主流は通称ベトコンハウス(正式名ミニパイプハウス)と呼ばれる、現在のハウスとトンネルの中間のようなものでした。低い骨組みにビニールを被せただけのものでドアはなく、出入りはビニールをめくって潜ります。高さも十分ではなく、中は腰をかがめなくては歩けません。
暖房設備など導入されていませんから、ハウス内のトンネルには二重三重にビニールを被せて寒さに備えます。気温や湿度の変化に合わせて一日に何度もそのビニールを開けたり締めたりして調節をするのですが、それはたいへんな重労働でした。
それでも時代の波にのってきたメロン栽培に参入しようと、多くの農家がこぞって露地栽培から施設栽培へと転換していた時代です。大島種苗店が提供する多彩な資材と、小玉スイカで培った経験からのアドバイスは、農家にとってたいへん頼りになりました。
また、変形の土地にも合うように骨組みのパイプに曲げ加工を施したり、幅6m×長さ50mあるサクビの原反をそのまま売るのではなく、ハウスの長さに合わせてカットするサービスを提供。セミオーダーの販売方法が農家の負担を減らし、鉾田の施設農業への一大転機を後押ししたのです。
大島種苗店が旭店を出店した数年後、世に出始めたのがアンデスメロンです。果皮にはマスクメロンと同様の網目があり風味も十分。高級感があるのに手頃な価格を実現したことで、一躍人気が高まりました。このアンデスメロンの台頭によりビニールハウスの需要に拍車がかかりました。
ビニールハウスは自社工場でそれぞれの大きさに加工する
大島専務:
「時代とともに資材は変化しています。昔はトンネルの骨組みとなる弓は竹を加工して作っていましたが、今はグラスファイバーなどが使われています。お客様からのさまざまなご要望に対して、まだ商品化されていない場合はそれにふさわしい、なにか使えそうなものを探し出すということもよくあります」
「たとえば、内張りのカーテンフィルムの開閉に使うスピンアイアンという道具は、生産者さんが自作していたものをヒントに、ご希望に沿って商品化したものです。そうした個々のニーズに応えるためのさまざまな試行錯誤を行なってきました。実際に使用してみないとわからない不具合やこんなものがあったらいいなというご要望など、農家の皆さんからの声が、より便利な資材の商品化へと生かされています」
新素材が開発されると耐久性も向上し、ビニールハウスの大型化が進んでいきました。間口は3間でドアが付き、人が立って作業するのにも十分な高さが確保された利便性の高いハウスです。メロン栽培への新規参入はもちろん、既存のミニパイプハウスも次々と大型への建て替えが行われるようになりました。
しかし「メロンは明らかに技術差の出てしまう作物」と大島会長。立派なハウスを建てれば立派なメロンが採れるわけではありません。同じ品種を同じハウスで栽培しても、日頃の管理の違いで明らかに差が生じます。手間がかかる上に収穫まで半年近くかかるメロンをあきらめ、管理が楽で40日ほどで安定して収入が得られる葉物へと、多くの農家が転向していきました。
生産者の高齢化や後継者不足という側面もあり、一時は増える一方だったメロン農家の数が、潮が引くように減少していきました。だからこそ、その時期を乗り越えて今メロン作りに精進し続けている鉾田のメロン農家には、名人と呼ばれる人が多くいるのでしょう。
パイプを曲線状に加工する道具
オトメメロン開発秘話
大島種苗店のオリジナル品種に「オトメメロン」があります。この種はどのようにして生まれたのでしょうか。そもそもは戦時中、戦地での出会いにありました。
大島種苗店の創業者 大島正儀氏が出征した先の同じ部隊に、京都出身の瀧井利彌氏(タキイ種苗(株)前社長)がいました。親交を温めた二人は、終戦後はそれぞれ故郷に引きあげ、大島氏は筑西で家の農業に勤しみ、滝井氏は天保6年から続く家業、老舗の種苗店に就きました。滝井氏から採種の依頼を受けて指定農作物の栽培を始めたのがきっかけで、後に大島氏も種苗店を開業することになったのです。
大島種苗店には毎年さまざまな種苗メーカーから試作の種が届きます。1995年にタキイ種苗から届いた2種類のメロンの種を3年間試作したところ、どちらも適応性を確認することができました。一つは比較的誰でも作りやすいタイプで、タキイ種苗から売り出すことが決まりました。
もう一方は作りやすさという点では多少劣るものの、上手に作れば非常に良いものができるというタイプでした。大島会長は当初からこちらを気に入り、1998年には30名のメロン農家に栽培をすすめました。翌年5月に収穫されたメロンは良い出来で、なおかつ早出し栽培の適正が認められ、大島種苗店で発売することに決めました。これが「オトメメロン」の始まりです。
「オトメメロン」は、低温期の玉太りに優れた緑肉メロンで、ハウスの早出し栽培に最適。形はきれいな球形で、太めのネットが安定して発生するため外観が優れています。肉質はメルティング質で食味が優れ、糖度は15度以上で安定。栽培面においては低温期のつる伸びが速く着果が安定しているので作りやすいのが特長です。
見た目や味はアンデスメロンに近いですが、一番の違いは他のどの品種よりも早い時期に収穫できるという点です。栽培を始めたばかり頃は名前もないまま試験販売をしていましたが、市場関係者からの評判も上々で、四半世紀を超えて愛され続けるヒット商品となりました。
オリジナルキャラクターオトちゃん・メロちゃんをあしらった最新のパッケージ(手前)と、オトメメロン誕生当時から使用しているパッケージ(奥)
大島会長:
「スーパーでは5月の連休には店にメロンを並べたいのですが、その頃は他の品種では早すぎて、採れたとしても小さいんです。オトメメロンならば対応できるということで、この存在に気付いたイトーヨーカ堂さんから出してほしいと声がかかりました。まだ名前も付けていない頃でしたが、需要の見込みがついたということで1999年には新品種「オトメメロン」と名付けて種子の発売を開始。メロン農家の皆さんに声をかけて、一気に20町歩(約20haサッカーフィールド42面分)も作ってもらいました」
「しかしこのメロンがどのようなものかまだ誰もわかっていませんでしたから、その時はJAさんには扱っていただけませんでした。そこで出荷も当社が請け負うことにして、農家の皆さんから出荷手数料は一切いただかず、代わりにラジオや新聞にかかる宣伝費のみ負担していただきました。お陰様で数年後には、イトーヨーカ堂さん以外の大手スーパーやJA、地方の市場などからもお問い合わせをいただいて売り切ることができました」
大島種苗店とタキイ種苗のオリジナルメロンであることから、「OSHIMA」「TAKII」「ORIGINAL MERON」の頭文字を取って「オトメメロン」と命名。
2000年に正式に「オトメメロン」が誕生すると同時に、大島種苗店旭店では知名度アップと販路拡大のために茨城県OTM出荷組合を結成しました。
ブランド化を図って作った専用の化粧箱に詰めて市場に並べれば、あとは「オトメメロン」の特長である春一番の早出しであること、おいしさ、見た目の美しさなどが人気となり、鉾田発の定番メロンとして根付いていきました。種子の方も県外のJAや農業者からの問い合わせが多くあり、各地で栽培されるようになりました。
友人である農家とともに
種苗店の仕事は単に資材を販売するにとどまりません。種苗資材、メロンの場合は特に、土地柄や気候によってどこでもできるというわけではないので、栽培する場所の適性を見極めて、栽培方法込みでご紹介しないといけない商品です。販売した後も病気の相談などが寄せられ、農家との連携は続きます。
ブリーダー(育種者)はメロンだけでも毎年数百という組み合わせを作り、優れた種子を選択し、収穫までのデータを元に商品化を進めます。試験栽培をするなかで生育に適した詳細な条件を見つけて提示してきますが、生産者は栽培環境も異なる上に、収益が見込めるだけの面積をこなして作らなければなりません。実際はどこかを省略したり、自分なりのやり方に変えたりして栽培することが多いのです。
種苗店は新しくできた種子の特性を伝え、実際に作る環境との適性をみてアドバイスもしますが、最終的にはやはり作る人の栽培技術がメロンの出来を左右します。
大島会長:
「茨城県OTM出荷組合には、多い時は70人ほどのメロン農家がおりました。いろいろな人がいてそれぞれのやり方があり、地区ごとに育て方とか管理作業も特色があります。しかし昔の人というのは自分のこだわりの作り方など、そういう話をあまりしないものでした。決して秘密にしたいというわけではなく、農業をしたことがない私なんかが聞けばなんでも話してくださいます。上手な人ほど話したいものなのです。しかし相手が同業者だと難しい。本当はお互いの経験を共有して皆で良いものを作れば、良い産地になるのですが」
「そこでゴルフを企画して実際に会って話す機会を作ったり、私が聞いたことを皆さんにお伝えしたりして、有益な情報をなるべく共有するようにしました。すると、ああそれは楽だねとか、やってみるよ、となるわけです。友達である生産者が、そのようにして広めてくれました」
2001年には作付面積が50haに増えました。「オトメメロン」の誕生と同時に独自の出荷組合を設けたことが功を奏したのでしょう。量だけでなく品質においても生産者そろって良いものを目指し続けたことで「オトメメロン」は高く評価され、その名が知られていきました。大島種苗店がまとめ役となり、生産者が互いに高め合った結果です。

茨城県のメロン栽培の現状について調べてみると、2014年から2023年の10年間で作付面積は13.9%減少。収穫量は6.2%減少。ところが10a当たりの収量は8.9%増加しています(※)。生産者の数自体は最盛期の半分ほどに減ったと言われていますが、生産率は向上しているということでしょうか。
※出典:「政府統計の総合窓口」
作り手不足は今後も危惧すべきところですが、以前の薄利多売の時代よりも鉾田市産のメロンの価値は高くなってきています。おしまいにメロンの今後をどのように展望しているのかをお聞きしました。
大島専務:
「今は多くの作物がハウスで作られています。メロンに限らず施設園芸をより効率的に活用するには、今後ますます環境制御システムの導入が求められていくと思います。従来は人が温度計や湿度計を見てハウス内の環境を確認し、温度・湿度・日照等の管理を行っていましたが、各種センサーやプログラミング可能な設備によってそれらを自動で管理できるシステムです」
「ただし、このシステムは大型の連棟ハウスに適しており、単棟の場合は1棟ずつに導入しないとなりません。それでもやはり手間のかかるメロン栽培を少しでも楽にして採算を上げていくには、最も有効ではないかと思います」
大島会長:
「近頃は働き方改革が進み、昭和のような長時間労働などはなくなってきました。しかし農業はそういうわけにいきません。特にメロンの管理に休みはないので、働き方改革には合いませんね。それでもやはり変えていくには、人の働き方を工夫するのと同時に、種子もまた進化していく必要があります」
「10月に収穫できる『アールスメロン』という品種があります。昔はオトメやアンデスなどの春メロンのあとにはトマトを作ってもらっていましたが、ある年からアールスメロンを試作してもらいました。アールスメロンは1本の木に1個しか作らない高級品です。最初の5年位は途中で枯れたりして収穫できませんでしたが、新しく出た種に変えてからうまくいくようになりました。その種は純粋なアールスよりも春作のメロンに近い性質の種です。それからも種は改良され、今では立派なメロンができるようになりました」
「メロン農家の数は減少傾向にありますが、栽培にかかる手間を省力化するよう努めながら、今作っている人たちが皆名人級になって、次の世代に繋いでいけたらと思います」
ビニールハウスが並ぶ鉾田らしい風景。メロンだけでなく様々な生産物に大島種苗の資材が使われている
【取材録】
種苗店のことをよく知らなかった私は、単に農業資材の販売会社だと思っていました。しかし取材中に大島会長がおっしゃった「私達の友達である農家さんが」という言葉に、認識を改めなければと思いました。作り手にとっては作りやすく、消費者には喜んでもらいつつ利益を生む種苗を世に出すまでに、互いに協力しあう関係がありました。
オトメメロンに関しては、種子の開発と販路開拓、そして個々の栽培経験が育んだ知的財産の共有と、大島種苗店旭店の果たした役割は大きなものでした。戦時中の出会いに始まり、ブリーダーの意図、種苗店の選択、資材の進化など、1つの種にオトメメロンという名前がついてスーパーの棚に並ぶまでには数え切れないほどの岐路があり、どの選択が違っても今のオトメメロンにはならなかったのだと思います。
株式会社 大島種苗店(旭店)
茨城県鉾田市子生674-5
TEL 0291-37-0367
http://www.ohshimaseed.co.jp













