いばらきの生産者

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 「両親はメロン作り一筋に真面目にやってきたけれど、余裕のある暮らしとは言えなかった。自分は別の道をいこう」社会人になって家を出るまではそう考えていた井関家長男の拓実さん。父の一也さんもまた「息子には気楽にアフター5が楽しめる生活をしてもらいたい。好きなところへ行って好きな仕事を見つけてほしい」と望んでいました。

 しかし語学力を活かす仕事をするなかでインドネシアとの縁が深まった拓実さんは、旅するように働きながら農業と出会い直し、その可能性の大きさに気がつきます。やがて日本とインドネシアの架け橋になる目標を持つようになり、5年前に鉾田市内の実家に戻り、計画の第一段階であるイチゴ栽培を始めています。

 メロン作りの名人と呼ばれる父を敬い尊重しつつも、自らのビジョンを現実するためには広い視野で新しい仕組みをつくることが必要です。時に親子で意見の相違もありますが、折り合いをつけながら、バランスをとりながら、複合農業を目指す「村糸」は、目標の実現に向けて計画を推し進めているところです。

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おいしいと喜ばれることがなによりの幸せ

―まずはお父様のお話から聞かせていただきます。35年前に新規就農、その年から「クインシーメロン」を専門に生産されてきましたが、栽培技術は最初どのように習得したのでしょうか。

一也さん(父):

 自分は水戸市内で商売をしていたのですが、父親が亡くなったことを機に実家に戻りました。父が残した畑で母と妹がスイカなどを作っていましたが、当時鉾田市ではメロン栽培が盛んでしたので、近くに住む親戚の手ほどきを受けながらクインシーメロンを始めることにしたんです。親戚が時々見回りに来てくれましたが、それまで農業をしたことがなかったのでまあまあひどい出来で、「なんでこんなことにしちゃうんだよ」と怒られていました。

 やがてハウス栽培の基本を守ればそこそこのメロンは作れるようになりましたが、もっと高品質のメロンを作りたいという気持ちが強くありました。上手な人のやり方を真似したところ、すぐに良い結果が出て、メロンの品質を上げるためには押さえるべきポイントがあるということがわかってきました。

 クインシーメロンにもいくつかの種類があり、それぞれに特徴があります。私が食べておいしいと感じるのは春クインシーと初夏クインシーです。この2種類を、食味、糖度、見栄えの三拍子揃ったメロンを目指して作っていますが、さらには畑全体、すべてのメロンのバラつきをなくすことを意識しています。

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―高品質なメロンをバラつきなく仕上げるためのポイントを教えていただけますか。

一也さん:

 1つはミツバチによる交配をいかに短い日数で決めるかが勝負です。1週間も10日もかけて交配すると、最初に受粉したものと終わりの頃とでは糖度が全然違ってしまうので、うちでは大体4~5日で終わらせるようにしています。そのためには気温の変化を見極めながら、短期間でいっせいに花を咲かせる必要がある。そうしてすべてのメロンの生育状態をまずはほぼ同時期に揃えるのです。

 もう1つは花の向きです。通常は一本のつるから2つのメロンを採る場合、S字に這わせたつるの両側に実を付けさせますが、うちの場合は2つともハウスの内側に向くように仕立てています。こうすると気温差の影響を受けにくく、どちらも同時期に花をつけるので交配が短期間で済み、そのあとの生育状況もほぼ同時進行していきます。

―井関さんは2018年からJA茨城旭村にメロンを出荷するようになり、毎年のように「品質優良賞」を獲得しています。JA茨城旭といえば〝光センサー〟。見た目だけではわからないメロンの糖度や熟度を正確に判定し、外れのないメロンのみを市場に出荷している選果場を備えています。1玉ごとに誰がどのように栽培したかという栽培情報も一目瞭然ですから、「井関さんの作るクインシーメロンは一味違う」という評判が確かだということが、数値として証明されましたね。

一也さん:

 以前は近所の農家12~13軒で出荷組合を組織していたのですが、解散することになり、2018年からJA茨城旭村に出荷するようになりました。最初の年に受けたのは「市長賞」です。157軒ある農家の中から選んでいただいて驚きました。しかし光センサーによるごまかしのない結果ということですから、本当にうれしかったですね。

 とにかくメロンの木を健康に育てたいという思いで肥培管理や害虫防除を行っています。まずは健康な葉っぱがあってこそおいしいメロンができるので、葉っぱが病気にならず元気に育つように、温湿度の管理や日の当たり方などに気を使っています。メロンの生育には適度な日差しがたいせつですが、それも葉っぱを傘にしてつくる日陰が重要なのです。

 そうやって作ったメロンを食べた人が「やっぱり井関さんのはおいしいね」と言ってくれるのがなによりの励みです。

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 昨年は茨城メロン品評会「KING & QUEEN コンテスト2025」において、赤肉メロン部門の特別賞をいただくことができました。コンテストの開催日に合わせて熟度の調整をするのは、自分にとっても新しい試みでした。

 私はメロンの食べ頃の期間というのは、健康度によって左右されると考えています。収穫後1週間ほどで味が傾くものもありますが、うちで作るメロンは2週間近く経っても食味が落ちません。このコンテストの時は確か収穫後12日目でしたが、「よくこの日に食べ頃を合わせられましたね」というコメントをいただくことができました。特別ゲストの菊川怜さんとステージに立てたのも良い思い出になりました。

 

日本とインドネシアの架け橋に

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―続いて拓実さんにお話をうかがいます。まずは自分の未来に農業だけはないと思っていたところから、180度転換して今に至るお話を教えて下さい。

拓実さん:

 大学で習得した英語力を活かす仕事に就きたいと思い、卒業後は取手にある日本語学校に就職しました。そこではさまざまな国の人が日本語を学んでおり、自分もまた英語以外の言語を覚えたいと思いました。その学校の寮長も務めていたので生徒の皆さんと接触する機会が多かったのですが、なかでもインドネシアの人たちには日本人と通じる感覚を多く感じました。実直な点は似ているけれど、日本人よりもずっと気楽で陽気な国民性に惹かれてインドネシア語を勉強し始めたんです。

 そこで1年働いた後でインドネシアに1年間の語学留学をし、そのままジャカルタの日系企業に2年勤めました。留学時代に知り合った同年代の日本人で、今はつくばみらい市で農業をやっている仲間がいるのですが、当時彼が「俺は農家になって3億円稼ぐんだ」と言うのです。僕は「農家で3億なんて稼げるわけがないだろう」と思いました。僕にとっての農家とは、そういうイメージだったんです。でも同じ茨城県の農家で生まれた彼は、目をキラキラさせながら将来について語っている。そこで農業に対して初めて興味を持ちました。

 その後ジャカルタで働いていた時、古本屋で澤浦彰治さんという篤農家の本を見つけ、自分が抱く農業観とはまったく異なる世界があることを知りました。それまでずっと感じていた“自分は農業に引き寄せられている”という感覚が明確になり、「農業やろう!」と思い立ち、すぐに父親に電話をしました。

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 ところが父には「せっかくサラリーマンになったのだからそのまま続けた方がいい、帰ってくるな」と言われてしまいました。僕は一度決めたら曲げないタイプなので、それなら日本へ戻ることなくインドネシアで始めてしまおうと思い、その方法を探しました。たまたまインドネシアでイチゴ生産のプロジェクトを始めようとしている方がいることを知り、「僕もインドネシアでイチゴがやりたいんです」とプレゼンをしました。

 その方は熊本の農業法人の会長です。「経験も知識もないのに、そんなに甘くはないんだよ」とたしなめられましたが、いずれはインドネシアプロジェクトのメンバーとして派遣できるように手はずを整えるから、まずは熊本の本社で研修を受けなさいと言って受け入れていただきました。この木之内会長との出会いが僕のこれまでの人生で最も大きな転機だと思っています。農業に対する考え方などに影響を受けましたし、将来にやりたいことが見つかりました。

 言われるまま熊本のイチゴ農園で3年間研修を受けて、その後インドネシアに派遣される予定だったのですが、その計画はコロナで止まってしまいました。そこでもう一度父親に頼んで、地元に帰り自分でイチゴを始めることにしたのです。

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外へ出たからこそ気付けた恵まれた環境

―実家に戻り農業を始める際に、どのようなプランを立てて始めたのですか?熊本と茨城では違う点もあるのでしょうか。

拓実さん:

 畑は実家の土地を使っていますが、茨城県の新規就農者育成総合対策を利用し、経営は独立して始めました。熊本の会社は観光農園だったので取り扱う品種も多く、イチゴ狩りがしやすい高設ベンチの農場でしたが、茨城では販売されている品種そのものが違いますし、地域で一般的に行われている土耕栽培をしています。

 こちらへ帰ってきて感じたのは、鉾田という土地はやはり作物を育てるのにとても適した、恵まれた土地であるということです。本州の極東に位置する茨城県と熊本県では緯度の差があり、そもそもの日照時間が違う上に、向こうは周囲を山に囲まれた地形でした。同じ日本国内でも日射量の差があり、それは作物にとって影響が大きいことを感じています。

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 最初に作ったハウスは5棟です。ここは以前サツマイモを作っていた畑なので養分が少なく、初年度は完全に1人でやっていたので大変でした。2作目からはインドネシアからの実習生2名を迎え、イチゴの品質も普通に作れるようになり、JA茨城旭村に出荷しています。

 今季は4作目になりますが、昨年から同じ市内の村田農園さんにご指導いただき、自分で堆肥を作るようになりました。イチゴの実の太り方やおいしさがそれまでとはまったく異なり、堆肥でこんなに変わるのかと驚いています。鉾田市内にはエース級のイチゴ農家さんが多くいらっしゃるので、勉強させてもらえることがたくさんあります。

 現在イチゴのハウスは7棟に増えました。実習生とは言葉の問題がないので意思疎通も万全で、両親も家族のように彼らと接してくれるのでとても良い関係が築けています。

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学びを活かし、新しい道を拓く

―影響を受けたという木之内会長からは具体的になにを学び、どのように活かそうと考えていますか。

拓実さん:

 農業に対するスタンスをいろいろと教えてもらいました。1つは「人を作ることを大事にする」ということです。自分1人で頑張って良いものを作ったとしても、1人分の力の範囲。より発展させるには同じ能力を備えた人材を育てることが大事だと言われました。

 僕はそもそもインドネシアに農園を立ち上げることが一番の目標なので、技能実習生に対しても栽培の仕方とか手入れを教えてあげるだけでなく、うちで学んだ人たちが帰国してから経営者的な立場で活躍してくれることを思い描いて付き合っています。

 2つ目は「大きくするだけが農業ではない」ということ。小さい面積でも稼げる方法はいくらでもある。状況に合った最適な方法を考えて利益を得られれば、結果的に人を大事にすることができます。ここには自分が幸せになれば人も幸せにできるという、真理が詰まっていると思います。

 3つ目は会長がよく口にしていた「農業は生命総合産業」という言葉です。この地球に人が生きる根幹には必ず農業が必要である。その意識を忘れずに農業に取り組むようにということを教えてもらいました。

 これら3つの教えは人生の指針として僕が大事にしていることで、これから実現していくこともこれらを基本に考えています。

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―これから実現していきたいこととは、具体的にどういうことですか。

拓実さん:

 イチゴに関してはより良い品質を目指しながら規模を拡大し、販売方法も模索しているところです。

 なぜ既に親がやっているメロンではなくイチゴを始めたかというと、実家に帰って農業をやらせてほしいと言った時に一度は父に断られましたから、正直、それに対する反抗心も少しはありました。しかし人並みにイチゴが作れるようになり実績を示すことができましたので、今は僕の本気度を理解してもらえていると思います。なので今は父に教えてもらいながらメロン作りにも携わっています。

 面と向かってはなかなか言えませんが、本当は、実家に戻って農業をやりたいと思った一番の理由は、親が35年かけて完成させたメロンの技術を途絶えさせないため。100年先も「井関家のクインシーメロン」の味を残すために戻りたかったのです。

 インドネシアに農園を立ち上げる構想は、両国の農業の架け橋になりたいという思いからです。今うちで働いてくれている実習生には通常よりも時給や有給休暇の面で好待遇な職場にできるように心がけています。安全な就労体制で人をたいせつにする組織を経験してもらい、いずれは彼らが同様のマインドで、きちんと稼げる農業を自国で展開していけるようにしていきたいと考えています。

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 また、農業研修だけでなく語学や経営に関するスキルを習得する機会も作り、彼らが起業する時にはそのサポートもしていきたい。そのようなシステムを創出し、日本とインドネシア、双方への恩返しができればと思います。

 農場に付けた「村糸」という名前には、こうした思いを込めました。インドネシアで働いていた時は、僕が外国人でした。その時感じた寂しさや疎外感を、日本に来て働いている人たちも感じているはずです。ですから少なくともうちの農場では、日本の人も外国の人も、誰もが輪になって楽しく過ごせる、昔の村のような協働の場所にしていきたいと思っています。「村糸」の中には「light」(光)が含まれています。ここで宿した光をそれぞれの場所で、心の中で灯していってほしい。農業に大志を抱く人が元気になってスタートをきれる、そんな場所になっていきたいです。

【取材録】

春はメロン、夏はトマト、冬から春にかけてはイチゴを栽培している「村糸」です。
父親から見た息子さんはとお聞きすると、「メロンの世話にはまだまだ技術が足りないし、経営面では危なっかしく見えるところもあるけれど、トマトとイチゴを作るのは上手だね。やると決めた以上はやると思いますよ」と答えていただきました。
息子さんから見たお父様は「穏やかで辛抱強い人。子どもの時からやりたいと思うことをすべてやらせてもらえて、感謝しかないです。メロン栽培に関して細かいことを指摘されるとつい口ごたえしてしまうのですが、でも言われたことはしっかりと頭に残しています」。
飄々として時にユーモラスなお父様と有言実行の息子さん。国籍にとらわれず自他ともにたいせつにするヒューマンな構想には共感を覚えます。この親子の組み合わせでしか生まれなかった鉾田の農家の物語。続きが楽しみです。

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