プロローグ
昭和7年(1932)2月。時には気温がマイナス20度にも達するという北海道は虻田郡ニセコ町に、一人の男の子が生まれました。根っからの道産子ではありません。新潟県から入植してきた北海道開拓農民の三代目です。命がけで北の荒野を拓く農家の長男として、生涯その厳しさと向き合わざるを得ない宿命を負って産声を上げました。
しかし後に新天地を求めて茨城県へ移住し、やがて鉾田を安住の地と定めます。彼こそ鉾田市がメロンの一大産地になった鍵を握る人。農協の元営農指導員、浅田昌男さんです。
平成10年(1998)以降、茨城県はメロン生産において全国一位の産出額を維持しています。なかでも鉾田市旭地区は主要な生産地ですが、どのような経緯でメロンを作り始め、発展してきたか、詳しい事情を知る人はそう多くありません。
今回私たちはそれらを記録しておくために浅田昌男さん(91歳)ご本人を訪ね、幼少期の思い出から大いなる情熱を傾けてきたメロンのことを語っていただきました。