起伏に富んだ常陸太⽥市里美地区に新規就農して 20 年。地域資源を活かし、化学的な肥料や薬剤を⼀切使わない⽅針を貫いてきた布施さんの⼟は、ミミズやらカブトムシの幼⾍、多様な微⽣物が棲みついている賑やかな⼟。この⽣命⼒溢れる2haの畑で年間 60〜70 品⽬、品種に⾄ってはその4倍もの野菜を栽培し、旬の野菜ボックス「⾥⼭やさい便」を消費者に直にお届けしています。⼒強い滋味に富んだ野菜たちは実直な仕事の賜物。⽊の⾥農園の畑は⼭とつながっている。過去とつながっている。⼈とつながっている。
⾵⼟がつくる農作物
ー多品⽬栽培は作付けの計画や仕事の段取りなど、たいへんではありませんか。野菜ボックスにはいつも何種類くらい⼊るのですか?
布施さん そうですね、多品⽬を途切れさせないように作り回すのは本当にたいへんです。この 50a の畑だけでも(⾃宅から少し離れた場所にある⽇当たりの良い緩やかな傾斜地)、今はそら⾖が2種、芽キャベツが3種、カボチャが3種、枝⾖2種、ズッキーニ3種、ジャガイモが4種、ネギが2種とニンジン、全部で 20 品種、収穫時期がずれるように植えてあります。でも無駄に 20 年はやってないなと、少しずつ合理的に仕事できるようになってきて、やっとそう思えるようになってきました。
家庭⽤の野菜ボックスにはできるだけオーソドックスな品⽬構成で、きちっとしたキャベツやダイコン、そういう使いやすいものを当たり前においしく作ることを重視しています。M サイズのボックスで 10 種類は⼊るでしょうか。レストランさんのニーズはご家庭とはまた違います。なぜかお任せでと頼まれることが多いので、こんなのはどうですかと、ちょっと変わった野菜を提案する楽しさがありますね。でも基本的にうちは家庭向けの野菜ボックスがメインの農家。この⼟地の⾃然を最⼤限に活かして育てた有機野菜を、普通の家庭の普通の⾷卓で当たり前に⾷べていただきたい。⽇々の暮らしの中に新鮮な野菜を届けたいという思いで作っています。
ーなぜ有機農業という農法を選択されているのですか?
布施さん 農業の本質は太陽エネルギーの変換であり、有機農業は変換効率が比較的高いといわれています。しかし慣⾏農家でも、いわゆる篤農家といわれるレベルの⽅々は化学肥料や農薬、機械の使い⽅が⾮常に上⼿です。上⼿というのは、⼟や作物の⽣理⽣態を理解し、その仕組みを最⼤限に⽣かす技術があり、補助的に最低限の化学物質を使いこなしています。収穫量も品質も素晴らしいレベルにあります。じゃあなんで有機農業かといえば、⾃然や⽣態系の原理原則やシステムのみに依拠した技術体系で篤農家の胸を借りて勝負したいという、個⼈的なワガママかなというのが、最近の結論です(笑)
⼭のエネルギーを⽥畑へ ⾥⼭循環農業
ー⽊の⾥農園さんで⾏なっている有機農業の特徴を教えてください。2008 年には⼭と農地の循環と⼈の交流を⽬指した「落ち葉ネットワーク⾥美」を⽴ち上げていらっしゃいますね。
布施さん ⼤学では林業を学んでいましたが、卒業前から就農を決意していました。たまたまこの地に住むことになりましたが、⽣態学的な知識が基礎にありましたので、当初から⼭の資源を活かした有機農業を⽬指していて、落ち葉を堆肥に変えて⼟作りをしています。堆肥の材料は⼭の落ち葉と籾殻が 99%、あとは野菜の残滓や草で、発酵させながら 2 年間寝かせています。
夏にはこの落ち葉の⼭にカブト⾍が⼤量に産卵するんですよ。切り返していると幼⾍がゴロゴロ出て来て仕事にならないくらい。それを全部床⼟⽤の腐葉⼟に⼊れてやると、すごくいい床⼟を作ってくれるんです。
ートマトの苗⽊のハウスの中にも、落ち葉が厚く敷き詰められていましたね。
布施さん あの場所は⼟質的にとても乾きやすいので、⼟に直射⽇光を当てないよう、⽔分と地温を安定させるために落ち葉を敷いています。落ち葉は炭素分の塊なので、作物にとって良いことばかりではなく悪さしたりもしますが、落ち葉には豊富な栄養分があり⼟作りにはとても良いものですし、⾍や⼟着微⽣物がたくさんいて、⽣物相が豊かになることで化学的ではない豊かさを作りだしています。しかも⼭がある限り無尽蔵で、最⾼の有機資材だと思っています。
⼟からの⼿紙/種継ぎは思いのリレー
ー2013 年には地元の在来作物に関わる「種継⼈の会」を発⾜させていますが、伝承野菜を引き継いでいく使命感のようなものがあるのですか?
布施さん いえ、あまりそういう気負いはなくて、在来の野菜が全てだいじだとか思ってはいないんです。でも市販の種に負けない味や魅⼒があれば作りたいし、それには⾃分で種をとるしかないので。
例えば向こうの隅っこで咲いている花は、少し南の集落のおばあさんがずっと作っていた油菜で、茎に⽢みがあってとてもおいしいんです。⼀度農家仲間に野菜ボックスを送った時に「あの油菜はなんですか?すごく⽢くておいしかったけど⾃分の知ってる品種ではない」と。そのおばあさんもいろんな油菜を作るなかで、これが⼀番うまいと⾔ってたんですよね。
どこをどう旅してきたのかわからない、たまたまこの辺にあった名無しの権兵衛。そういうのは⾃分で種を取るしかないんです。種はすべて買うものではなく、地域の人が引き継ぐ種があってもいいと思うし、そんな種が残るということは、作って食べる食文化の豊かさにもつながります。
ーそうした野菜もボックスには⼊るのですか?また、どのように種を引き継いでいるのですか?
布施さん はい、時々そうした作物も⼊ります。例えばこの菜の花は、篤農家のすごい野菜作りの上⼿なおじいさんが昔から作っていたカラシ菜で、「俺はこのカラシ菜の塩もみがあれば春はなんのおかずもいらねぇんだ」って⾔ってました。亡くなられてから僕がおじいさんの畑を作ってるんですが、ある⽇そこから⽣えてきたんですね。
「あ、おじいさんだ」と思って。それから何年かに1回種をとって、冷凍して少しずつ使って。なくなりそうになったらまた花を咲かせて種をとってということをやってます。普通のカラシ菜よりも縮緬がきつくて味も⾻太で、現代の⾷卓ではあまり⼈気のない野菜かもしれませんが、でもおいしいんですよ。なのでたまに遠慮がちに⼊れてみたりしています。
種を引き継ぐ、というより、種採りを続けてきた先輩農家さんの思いを、勝⼿ながら、ささやかながら引き継いでゆきたい。⼤体において、種採りをしてきた農家さんは80代以上、⾼度成⻑期以前の農業を知っている世代です。農業が国を⽀えていた時代を知り、その後多くの同志が他産業へ流れる中、黙々と⼤地を耕し種を採り続けてきたその思いに興味があって、地域の仲間とこの活動を続けています。
憧れの⽥舎のおっちゃんに
ー⽥舎の農家に⽣まれ育ち、それを嫌って東京に出て⾏く⼈はたくさんいます。布施さんは東京⽣まれの東京育ちなのに、⼤学を出たら農業をすると決めていらした。まるきり逆ですね。実際の⽥舎暮らしはいかがでしたか。
布施さん ⽗がフリーの植物カメラマンで年の半分くらいは地⽅に⾏ってる仕事でした。
学校が⻑期の休みになると⽗に連れられて、農家とか⼭仕事のおじちゃん家に泊めてもらったりして、⽗が仕事をしてる間ずっと兄弟で遊ぶという⼦供時代を送ったんですね。で、なんとなく「⽥舎のおっちゃんたちはすごいんだ」というイメージを持ちながら育った。⾃分もそうなりたい、⽥舎の⼈の役に⽴てる仕事がしたいという思いがふくらんで、地⽅の⼈に対して憧れをもったまま成⼈しました。ここへ来てからもいろんな⼈のお世話になってやってこれてるので、この地の地域資源を⽣かしながら多品⽬栽培をしていくという僕の農業を、⼀⽣懸命やることが恩返しだと思っています。
ー布施さんにとって農業の楽しさってどこにあるのですか?
布施さん ⾃分が試⾏錯誤したこと、頑張ったこと、⼯夫したことが、ちゃんと報われるのが農業の⼀番の楽しさだと思います。作物は正直なのでちゃんと答えてくれます。僕⾃⾝はイノシシの⾷害や、台⾵やヒョウなど天候のことくらいしかストレスはなくて、これまで⼀度も農業をやめたいと思ったことがないんです。しかしそれすら⾃分の創意⼯夫で⽴ち向かうことができて、何しろ相⼿が⾃然なので、ダメなときはスパッと諦めがつきます。⾃然の偉⼤さ、⾃分の⼩ささ、そんなものを謙虚に実感できる素晴らしい職業が農業だと思います。
農作業の中では、特に種撒きと初物の収穫が楽しいですね。あと間違いなくテンションが上がるのは、お客様においしいと⾔ってもらった時。「こないだのアレおいしかった」その⼀⾔ですべての苦労が吹き⾶ぶというか。励みになります。提携型の直送販売という⽅法で、良くも悪くも直接評価が聞けるということが、ここまで続けてこられた理由のような気がします。
これからは農業の楽しさをもっと表現してゆきたいです。農業に興味がある若者とも、ご縁があれば一緒に働ける農園でありたいなと思っています。
【取材録】
奥様の美⽊さんは、「やるだけのことをやってきて良かった、作物に味がのってきている。今時⾵なお洒落なことはできないけれど、味と鮮度が⼀番の勝負所です」と話してくださいました。信頼できる⽣産者が作るおいしくて新鮮な野菜、それ以上の価値などあるでしょうか。ご夫妻の誠実な⼈柄がいくつもの協同隊の輪を作り出し、地域のリーダー格、有機農業を⽬指す⼈の道しるべにもなっている⽊の⾥農園。軽々に使われている「⼤地の恵み」という⾔葉が真実ふさわしいのは、こういう野菜のことだと実感します。
■木の里農園
茨城県常陸太田市大中町 2606-3(旧里美村)
Tel.Fax.0294-82-2466
木の里農園ホームページ
http://konosato.com/